2008年08月22日
シカゴ・バウンド
ラストライブ 1998-12-19
憂歌団の一番好きな曲♪
今でも懐かしく聴いている。
♪
1970年頃大阪で結成。初ステージは島田以外の3人が在籍していた大阪市立工芸高等学校の文化祭のステージだった。バンド名は「ブルース・バンド」の邦訳で、内田勘太郎が考えた。
1975年、アルバム「憂歌団」でデビュー。同作収録の「おそうじオバチャン」は、彼らの代表曲として知られているが、「掃除婦に対して差別的な歌である」との理由により、放送禁止処分を受けた。
1976年、ブルースマン、スリーピー・ジョン・エスティスの来日公演の前座とバック・バンドを務める。このときの模様は「Blues Is A-Live」と題されたライブ盤となっている。
1986年7月、日比谷野外音楽堂で開催されたジャパン・ブルース・カーニバルに出演。以後、活動停止まで、同カーニバルには毎年出演した。
1988年、プロデューサーに康珍化を迎えたアルバム「BLUE'S」が結成以来のビッグヒットとなる。
1996年、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の4作目において、オープニングとエンディングのテーマ曲を担当する。また、その第33話では妖怪さら小僧の歌を盗用するバンド「ザ・ビンボーズ」という役で特別出演した。
1998年、バンドの冬眠を宣言し、同年12月に名古屋、大阪、東京で最後のコンサートを行った。
憂歌団の一番好きな曲♪
今でも懐かしく聴いている。
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1970年頃大阪で結成。初ステージは島田以外の3人が在籍していた大阪市立工芸高等学校の文化祭のステージだった。バンド名は「ブルース・バンド」の邦訳で、内田勘太郎が考えた。
1975年、アルバム「憂歌団」でデビュー。同作収録の「おそうじオバチャン」は、彼らの代表曲として知られているが、「掃除婦に対して差別的な歌である」との理由により、放送禁止処分を受けた。
1976年、ブルースマン、スリーピー・ジョン・エスティスの来日公演の前座とバック・バンドを務める。このときの模様は「Blues Is A-Live」と題されたライブ盤となっている。
1986年7月、日比谷野外音楽堂で開催されたジャパン・ブルース・カーニバルに出演。以後、活動停止まで、同カーニバルには毎年出演した。
1988年、プロデューサーに康珍化を迎えたアルバム「BLUE'S」が結成以来のビッグヒットとなる。
1996年、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の4作目において、オープニングとエンディングのテーマ曲を担当する。また、その第33話では妖怪さら小僧の歌を盗用するバンド「ザ・ビンボーズ」という役で特別出演した。
1998年、バンドの冬眠を宣言し、同年12月に名古屋、大阪、東京で最後のコンサートを行った。
Posted by take-sun at 12:07│Comments(0)
│憂歌団・木村充揮